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執筆者の写真sanyukai

立山・下の廊下  2014年10月7日~10日


{行程} 10月7日 黒部平(9:08出)~東一の越(11:35着12:00出)~一の越(13:08着13:30出)~雄山(14:39着)~大汝山 (15:05着)~雷鳥沢(17:00着)幕営 10月8日 雷鳥沢(8:48出)~一の越(10:30着)~東一の越(11:00)~黒部平(13:50着)ケーブルカーにて黒部ダム(ダム観 光)~ロッジくろよん(16:00)幕営 10月9日 ロッジくろよん(5:10出)~黒部ダム(6:15出)~白竜峡(10:25)~十字峡(11:21着)~仙人谷ダム(13:30 着)~阿曽原温泉小屋(14:56着)幕営 10月10日 阿曽原温泉(5:58出)~欅平(12:02着)

私は立山連峰を初めて見たその時から立山に恋をしている。

しかし、恋焦がれるものの、遠くてアクセスまでの時間を短縮しようとすると「高嶺の花」ではなく「高値の花」。ナカナカ頻繁には通えない。数年前、初めて立山に登った時は、扇沢からトロリーバス、ケーブルカー、ロープウェイを乗り継ぎ室堂まで行った。扇沢から室堂までの片道は6000円を超える。なんというブルジョア登山だ・・・遠距離恋愛に出費はつきものだけど、これは経費がかかりすぎる。そこで今回は、黒部平から東一の越、一の越を経て立山に入った。(前回は、帰りの交通費をケチってこのルートで下山した。)

台風18号が通り抜けた後の黒部平からの道は「沢」のように水が流れていたり、あまり人が歩かないせいか藪が登山道を覆い、藪こぎのような歩き方 で ないと前へ進めない所もあった。

でも私は「沢詰めの藪こぎ」に憧れているので、これもまた楽しい。実際の藪こぎはもっと激しいんだろうな・・・想像しながら藪をこぐ。展望がないこの道は、東一の越の少し手前でドッカーン!!と開けてくる。その辺りから足下にも雪が積もっている箇所がでてきた。前夜に初冠雪を迎 えた立山連峰の稜線上は白くなっていて景色に文句なし。地味で見晴らしの無い所から始まり、東一の越からの立山の展望。東一の越から一の越まではトラバースしている道で、見晴らしが最高に良い。この変 化に富んだルートは結構、好きかもしれない。(お金かからないし。)

黒部平から一の越までは、他の登山客とは一人として会わず、人の気配のない登りだったが一の越まで来ると人が結構いた。この日は更に雄山と大汝を経て雷鳥沢に下る予定なので先を急ぐ。

さすがに、雪が多くなってきていたが登りはまだ凍ってなかった事もあり、楽しく「チョットだけ雪山気分」を味わっていた。しかし、大汝山下山くら いの所まで来ると 夕方になって気温が下がり、一部凍ってきている。軽アイゼンが欲しいな・・・当初は、白馬岳から下の廊下に入る計画もあったので軽アイゼンは家からは持ってきていたが、立山から入る計画と決まり荷物軽量化の為、車に置いてきてしまった。その事を少し後悔し反省しながらも下山は慎重に下れば問題はなかった。私のもう一つの憧れ、雷鳥沢での幕営。前回来た時はマイテントを持っていなかったので小屋泊まりだった。そういえば、内蔵助山荘では自炊素泊まり で泊まっていたのは私一人だったな。みんな、ブルジョア階級だから2食付きで泊まっている。そんな私に内蔵助山荘の人は「今度のお盆、うちで働 かない?忙しいから手伝って欲しいんだよね。あなたなら大歓迎しますよ。」とスカウトしてきたっけ。その熱烈なラブコールはすごく嬉しかったけど「お盆は仕事が休みじゃないから無理です~」と丁重に辞退したものの、今思えば仕事辞めて働いちゃえば良かったかな~。でも、季節労働者は生活がな~と思ったっけ。そんな、思い出に浸ってる。雷鳥沢幕営地はド平日のせいかガラリとしていて、20張りあるかないかのテント数だった。幕営するとフライシートは夜露が凍り、霜となるくらいの寒さ。しかし、ここは立山連峰が寝ながら眺められる最高の幕営地。朝、テントのファスナーを開くと立山連峰が朝日に照らされオレンジ色に輝いていた。何日もここにいたい気分になる。住みたい。やっぱり、立山が好きだ。

二日目の朝は下山だけなのでゆっくり朝食をとった後撤収し、一の越から黒部ダムに下山した。黒部ダムは観光客がたくさんいて、つかの間の下界気分を味わう。下界の空気を吸うと人は誘惑にさらされる。食堂で黒部ダムカレーを食べたい気持ちを押し殺し、破砕帯の水で作ったお土産物のサイダー「ハサイダー」を流しこみ我慢する。明日からは距離30Kmにも及ぶ、下の廊下の旅が始まる。下界の空気を吸うのはほどほどにして、ロッジくろよんで幕営後、黒部ダムで購入したせめてもの贅沢品「宇奈月地ビール」と質素な山ご飯で腹を満たし、早めにシュラフに入り眠りについた。

黒部に魂を抜かれてしまった。いや・・・、熱気がたちこめる高熱隧道の奥に、自ら魂を置いてきてしまったのかもしれない。 「自然には何万年、何億年の歳月の間に形づくられた秩序がある。さまざまに作用する力が互いに引き合い押し合いして生まれた均衡が、自然の姿 を平静に見せている。(中略)火薬で隧道を堀りすすむことは、長い歳月たもたれてきた自然の秩序に人間が強引に挑むことを意味する」(吉村昭  著「高熱隧道」より抜粋) この文章を読んだ時、雷に打たれたような衝撃が私の身体中を走った。前々から「下の廊下」に興味はあったが、「下の廊下」の水平歩道には、山が好き、自然が好きとういう「キレイゴト」だけで語ってはならない過去が ある。何万年、何億年の歳月で形づくられた秩序に、人間が強引に挑んだサマをこの眼で見たい。残酷なまでに強く、泥臭さが漂うたくましさがあり、それでいて危うい「昭和」という時代が残した遺産物を見たい。そう思って「峡谷黒部」へ入った。 昭和11年、国家的事業ともいえる黒部第三発電所を建設するにあたり、資材などを運ぶ水平歩道整備や隧道工事が着工された。その中で特に難航を極めた第一工区は、現在の仙人谷ダムから阿曽原温泉小屋がある辺りで、この辺りの岩盤温度は最高165度という高熱地帯であっ た。その為、発破をかけるダイナマイトが自然発火などを起こし大勢の死者を出した。それでも、当時の国家は電力供給の為のダム工事を続行させた。その、高熱隧道と呼ばれるトンネルは、仙人谷ダム周辺で出合う。 下の廊下(旧日電歩道)へは、黒部ダムから入り、黒部川の流れと同じに下流へ向かって歩いた。100m以上は切れ落ちている断崖に掘られた半月状 の歩道や丸太の足場をすり抜け、高巻き用のハシゴを登り進む。思ったより整備が行き届いており、怖さはほとんど感じられなかった。しかし、当時の水平歩道はここまで整備されているワケがなく、100キロを超える荷物を運ぶ歩荷人達は滑落によって多くの人がここで命を落とした という。 深くV字に削られた断崖、そして谷底には水量豊富な黒部川。そのスケールに圧倒されながらも進んでいくと、仙人谷ダムが現れた。ダムサイトに溜 まっている水は青とも緑とも表せない美しく深い色をしている。こんな美しい水を貯めたダムは初めて見た。ダムサイトの橋を渡って行くと関西電力の施設があり、その施設の扉を開けて中へ入り、狭い通路で作業員が作業をする姿を横目に遠慮しながら進んで 行く。すると黄色い灯りに照らされているレールが現れるそのレールが続くトンネルの奥から吹いてくる風は、明らかに熱気を帯びたものだった。奥への立ち入りはしてはいけないと思われるが、私は少しだけ熱気が吹いてくる方向へ進んでみた。 少し入った隧道内はサウナの様な温度で、カメラのファインダーとレンズは一瞬にして曇り、写真が写せない程だった。これが、「高熱隧道」と呼ばれるトンネル。当時の掘削作業の人夫達は、後ろから水を掛けられ身体を冷却しながら作業を行なわないと、暑さで数分と 意識がもたな い過酷な現場だったという。現在は、だいぶ温度が下がってきているようだが当時の隧道工事環境を想像するだけでも気が遠くなる熱気だった。この隧道は仙人谷ダムから欅平まで続いてるらしいが、一般登山者が歩くのは地上の水平歩道であるため隧道に出合う場所はこの仙人谷ダムと、阿曽原 温泉小屋の幕営地だけだった。この日の幕営地である阿曽原温泉小屋に到着すると、幕営地に隧道の横口が開口している。横口には鉄柵がしてあり、中には入れない。私は、この横口 のすぐ近くに幕営した。夜になり辺りが暗くなっても、この横口の鉄柵からは、ぼんやりとした鈍い灯りが点々と灯っていた。薄暗くてよく見えないがトンネルの壁面はデコ ボコしていて、いかにも掘ったままの古びた感じが伝わってくる。

酒を飲みながら横口を眺め、ぼんやりと当時の事を想像する。阿曽原温泉小屋から欅平までも、しばらく水平歩道は続く。その道中で、単独で来ていた60代くらいの女性とお話した。その方は「高熱隧道」を何度 も読んだとういう。「これから通る志合谷では手を合わせようと思ってます。」と・・・。志合谷は人夫達の宿舎があった所で物凄い爆風を起こす「泡(ホウ)雪崩」という雪崩で鉄筋製の宿舎が吹っ飛び、谷向こうの奥鐘山の岩壁に叩きつけ られ80名程の人が亡くなっている。その宿舎が建っていたであろうと思われる所には、分厚い苔が覆いつくし、他の緑と完全に同化しそうな古びた鉄筋コンクリート製の土台があった。 「多分、いや、これは絶対にそうだ。ここに宿舎があったんだ・・・」背中が寒くなるのを感じた。 奥鐘山は黒部三大岩壁と呼ばれるだけあって、その姿は他の断崖との違いは明らかだった。荒々しく岩肌がむき出しになってそびえ立っている。その奥鐘山を見ながら歩いていると迫力のあまり、そちらにばかりに意識が向き、足下がおろそかになって危険なので集中するようにして歩いた。奥鐘山まで来ると、水平歩道の旅も終わりが近くなってくる。終わってしまう寂しさで胸がいっぱいになる。この下の廊下を直接歩き、人間が自然に挑んだサマを見てきて、過酷な自然ほど紛れもない美しさで存在しているということを思い知らされた。私は、なるべく息を大きく吸い込み黒部の空気を肺の奥まで入れた。なるべく、瞬きはしないで黒部の景観を目の奥に焼き付かせた。 「置いてきてしまった魂は、いつかまた黒部に取りに来よう。」そう思いながら、トロッコ列車の風に吹かれた。





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